サイバー攻撃と武力行使

1 ユス・アド・ベルム

ユス・アド・ベルムは、伝統的には戦争を開始することの正当性の問題ということがいえます。そして、その目的は、どのようにして戦争を管理するか、戦争が起きる場合を少なくしうるのかということにあります。

ここで、戦争という言葉を使っているのは、この考え方が歴史的に議論されてきたからです。現在は、「戦争」という言葉自体、法律家のなかでは、利用さなくなっています。

サイバーが重要な役割を果たす武力紛争については、二つの場合があることを念頭に置くべきでしょう。その一つは、実際の戦闘行為の一環としてなされたりする場合であり、いま一つは、純粋にサイバースペースのみでの一定の政治的意図にもとづく熾烈な継続的・全面的攻撃の場合とである。前者が、グルジア攻撃の類型であり、後者がエストニア攻撃の類型であるといえます。
前者の場合においては、武力紛争がすでに発生している場合において、どのようなサイバーを利用する作戦が法的に可能か、ということになります。これは、ユス・イン・ベロの論点として検討されることになります。

2 法的な論点

具体的に、ユス・アド・ベルムの法的論点は、(1)国際連合憲章のパラダイム(2)国家責任-属性のふたつであろう。国家責任-属性については、別個に解説しています。そして、さらにそれに加えて、証明責任を中心とした事実認定の問題についても見ていくことになります。これらの伝統的な論点が、サイバー攻撃について、どのように適用されるかということが問題です。

3 国連憲章のパラダイム

国際連合憲章をもとに考えるとき、基本的な枠組みは、以下の図のとおりです。

国連

サイバー攻撃がどのように位置づけられるかという点については、以下の 4 つの場合との関係を考えないといけません。

その 4 つとは、
(イ) 武力の行使 (同 2 条 4 項 - use of force)
(ロ) 平和時 (同 39 条)
(ハ) 武力攻撃の発生 (同 51 条 - an armed attack occurs)
(ニ) 武力による反撃 (同 51 条 - exercise of this right of self-defense) です。

(イ) 武力の行使 (同 2 条 4 項 - use of force)

武力の行使 (同 2 条 4 項 - use of force) の規定については、具体的な救済に関するものではなく、その原則的禁止を定めるものです。この規定については、政治力・経済力の行使は、含まれないと解されています(制定過程から)。

でもって、何が、武力なのか、そして、どのようなレベルが武力行使なのか、という点については、51条の解釈でふれることにします。

世界的にみて、実は米国のみが、この「武力の行使」と「武力攻撃」との間の違いを認めていません。この米国のポリシに従った場合には、サイバーを利用した攻撃について、「武力の行使」のレベルにたっした場合に、51条の国家の固有の権利としての自衛権の発動が可能になるので、より広く自衛権が行使しうることになることは留意が必要かと思います。

(ロ) 平和時 (同 39 条)

平和時については、同憲章第 39 条において、「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第 41 条及び第 42 条に従っていかなる措置をとるかを決定する。」とされています。

(ハ) 武力攻撃の発生 (同 51 条 - an armed attack occurs)

いわゆる「武力行使」があったとしても、一般的な解釈によると、「重大な諸形態」である武力行使と「それほど重大でない諸形態」が存在すると解されています(国際司法裁判所(ICJという)におけるニカラグア事件等の立場、ニカラグア事件(管轄権1884年11月26日・本案1986年6月27日)、オイルプラットフォーム事件(本案2003年11月6日))。

重大な武力行使が発生した場合 (51 条) には、国連による対抗手段が採用されるのに加えて固有の自衛の権限の行使が許されるというのが、全体としての国連憲章の枠組ということになります。

4 武力の行使/武力攻撃の解釈
サイバーによる攻撃は、上記の枠組で、禁止の対象となる武力の行使に該当するのか、また、平和に対する脅威たりうるのかということが問題になる。武力行使であるかどうかという点の判断については、攻撃の性質が重要であるというのが伝統的な立場です。このような立場からすると、いわゆる物理的被害を直接に惹起しうる武器による攻撃が必要ということになる。

国連憲章においては、Use of Forceという表現が用いられており、このForceは、Armed Forceのことであると解されているのですが、これは、結果を論じるためのより簡便な方法として性質・行為についての表現が用いられていると解すべきであると主張されています(Schmitt, Michael N., BellumAmericanum: the U.S. View of Twenty-First Century War and Its Possible Implications for the Law of Armed Conflict (1998). Michigan Journal of International Law, Vol. 19, 1998)。
したがって、むしろ、被害に着目すべきであるという説が主張されています。(Schmitt, Michael N., Computer Network Attack and the Use of Force in International Law: Thoughts on a Normative Framework (1999). Columbia Journal of Transnational Law, Vol. 37, 1998-99.)。

このような立場からするとき、政治的・経済的強制力が除外されているという文脈で、武力の行使の分析において、重視されるべき要素があると考えられます。この要素から、「武力の行使」「武力攻撃」に該当するかどうかを検討するのが、シュミット・アナリシスという立場になります。この立場は、上述の論文でもわかるようにマイケル・シュミット教授の名前をとった分析のアプローチになります。

具体的には、
(イ)甚大さ-Severity
武力攻撃は、他の武力攻撃の形態に比較して、人的被害および財産の破壊を引き起こす。これは、たくさんの人間が被害を被っているのか、また、無形資産の損失がどの程度あるのかという点も考えられる。

(ロ)迅速さ-Immediacy
武力による強制や脅威は、急激に発生するのが通常である。外交手段は、時間がかかるということを意味しているので、対抗措置をとるのに、ながい時間をまてない場合であるかどうかが重要であるということである。

(ハ)直接さ-Directness
これは、一つの行動が一つの結果を導き出すのかどうか、という視点である。一つの行為が、他の中間的結果を導いた上にその組み合わせで、なにか結果をもたらすというの
は、結果として直接的ではないということになる。

(ニ)侵略性-Invasiveness
いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものに対して、これは、政府が攻撃対象となっているのかどうかということである。

(ホ)測定可能性-Measurability
これは、被害が、測定可能なのかどうかということである。武力による強制は、容易に測定できる。

(ヘ)適法性の概念-Presumptive legitimacy
戦闘行為中において、国家は、適法に攻撃行為をなしうることになる。その一方で、例えば、非戦闘員に対しては、攻撃行為をなしえないというユス・イン・ベロの法理などがある。もっとも、戦闘行為中において、国家であってもなしえないような行為というのは、存在しており、そのような行為については、適法性の推定は及ばなく、むしろ、武力の行使として認識するさいの一つの契機となることなる

サイバー攻撃であったとしても、その結果からみて、武力攻撃と同様のインパクトをもたらす場合 (敵対行為が存在する場合といえる) には、対抗措置や個別的又は集団的自衛の固有の権利の行使が許されているということになります。

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